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大宮氷川三社(おおみやひかわさんしゃ) 埼玉県さいたま市

投稿者:吉祥さん

武蔵國一宮・大宮氷川神社の一帯はかつては見沼と呼ばれる大きな沼沢地でした。

霊峰富士山と筑波山を結んだ線と、浅間山と冬至の日の出を結んだ線の交差地点に 大宮の氷川神社が位置しています。

そして氷川神社を起点に中川の中山神社(中氷川神社)・三室の氷川女体神社が浅間山と冬至の日の出の線上に一直線に並んでいるのは偶然ではないでしょう。この三社が男体社(父神)・女体社(母神)・簸王子社(王子神)として一体の氷川神社を形成していたという説があります。

三つの神社を父・母・子に割り当てる信仰は日本には古くからあります。

日光の二荒山神社や熊野三山も同じ考え方ですね。

氷川神社が父神 須佐之男命・中山神社(中氷川神社)が王子神 大己貴命 ・氷川女体神社 が母神 奇稲田姫命 と云うことになっています。また大阪の住吉大社のようにオリオンの三ツ星に対比させる考え方もあるようです。

・・・と言うわけで今回は大宮氷川三社をご紹介します。

まずは父神である大宮・氷川神社さん。
大宮・氷川神社は武蔵野国を中心に全国に260社ある「氷川神社」の総本社です。

氷川神社

大宮へは東京駅から新幹線ですぐです。
京浜東北線・埼京線などさまざまな路線が集まるターミナル駅ですので新幹線でなくてもいいのですがなんとなく旅気分を味わいたい私は新幹線を使ってしまいます。
駅からは歩いて20分ほどで大宮氷川神社の二の鳥居に到着します。参道は広くて歩きやすいです。
運がよければ露店が出ていたりして縁日気分を味わえます。

主祭神は須佐之男命、奇稲田姫命・大己貴命を合祀します。社伝では創建は孝昭天皇3年(紀元前473年)と云われています。
古代信仰の聖地はそのころからあったのかもしれません。「国造本紀」にある「景行天皇の代に出雲の氏族が須佐之男命を奉じてこの地に移住した」と云う記述があるので神社としての創建はこの頃と考えてよいでしょう。
 
 「大宮」の地名は氷川神社を「大いなる宮居」すなわち「大宮」と称えたことに由来すると云われています。

休日にはたくさんの参拝客で駐車場はいっぱいになります。お宮参りや結婚式の人でごった返しています。

夜の参拝の厳粛な雰囲気も素敵ですが、昼間の活気がある神社もウキウキします。(夜間は拝殿まで入ることは出来ません。)社務所には長蛇の列。御朱印かおみくじを待つ人かと思ったらご祈祷の申し込みだそうで…。たいへん人気のある神さまです。

太鼓橋がかかる神池は穏やかで私はこの場所が好きです。鯉に水鳥・・・水上の景色をゆっくり楽しむことが出来ます。

王子神をお祀りする中山神社と母神をお祀りする氷川女体神社へは車を利用されるのが便利かと思います。都市部にある氷川神社と違って交通の便が悪そうなのでタクシーなら待っていただくほうが良いかもしれません。

この付近を「足立郡」といいます。

日本武尊が東征の際に負傷して夢枕に現れた老人の教えに導かれて氷川神社に詣でたところ立てるようになったという伝説があります。足が立つようになったので「足立」と云うそうです。各神社の摂社に祀られている「荒脛(アラハバキ@長脛彦)」もその名前から「足の病を癒す神」とも言われています。

この伝承によってか平安時代後期には、関東地方を実質的に支配していた武士に幅広く信仰されました。荒川流域に数多くの分社が建てられ武蔵国中に「氷川信仰」が広がります。彼の源頼朝も多くの寄進をしているそうです。

中山神社

「中山神社」はモトは「中氷川神社」と呼ばれていました。明治40年(1907年)周辺の神社を神社合祀して現在の中山神社に改称しています。
 
住宅街を入っていくと中山神社の参道に出ます。

木々に囲まれて鬱蒼とした雰囲気。「八雲の紋」が目に入ります。

主祭神は大己貴命(おおなむちのみこと=大国主)…出雲大社の八雲の図が頭をよぎります。
 
社務所は離れているらしく通常は宮司さんはご不在です。ご朱印等お願いしたい場合は事前に連絡されることをお勧めします。

扁額に書かれた「氷川神社」の文字が三社一体説を裏付けるようです。

摂社である稲田宮社に参拝。参道を挟んで荒脛(アラハバキ)社があります。

偶然 宮司さんにお話を聞くことが出来ました。

「氷川神社は川の東側に多いのですよ。」

八雲の神紋は素盞鳴さんにご縁のある神社に多く見られるそうです。氷川神社・中山神社(中氷川神社)・氷川女体神社の御神紋も八雲なのだそうです。
 
素盞鳴さんが詠んだ「八雲立つ出雲八重垣妻ごみに八重垣作るその八重垣を」に由来するそうです。

「氷川神社の神池が湧水地になっています。氷川神社を起点にして中氷川~氷川女体神社まで土地が低くなっていて川が流れていたのです。」

荒ぶる川・・・荒川はたびたび氾濫を起こします。「その川を治め稲作を司る神が氷川神社に祀られていました。」

太陽は夏至に西北西の氷川神社に沈み冬至には東南東の氷川女体神社から昇ります。この配置により稲作で重要な暦を正確に把握することができるのです。
 
創建は崇神天皇2年(紀元前95年頃)…当時の主祭神は水と稲作を司る土着の神だと考えられています。後に「荒脛」と総称される土着の神々は八百万・・・まつろわぬ神々たちです。

見沼一帯には数多くの龍神伝説が遺されており宮司さんの仰る「土着の神」は龍神さんではないかと思われます。稲荷神は「狐」に喩えられることが多いですが「龍神さま」の変化ではないかと思えるのです。長い体や髭 尻尾のうねり加減ときたら龍そのものではないですか?

「古事記の編纂(721年)の時に天孫降臨神話を正当化するために主祭神を「素盞鳴」としたようです。土着の神は現在は摂社である荒脛社に遷宮されています。」

大和朝廷の都合のいいように神名(かむな)を「割り当てられた。」と云うことらしいです。

本殿に隠れるようにしてある旧本殿は安土桃山時代の建造物。古事記編纂からだいぶ時代は下りますが 当時の土地の人々の記憶の中には土着の神が残っていたのでしょうか?

「こういう話は歴史の文書としては残っていないのです。昔の人から今の人に口伝えに伝わる 口伝なんです。」

大和朝廷が記紀の編纂をしたのは まつろわぬ神々の記憶を払拭して新国家の体制を作るためだったとも云われています。表立って逆らうことが出来なかった人々が口伝によって「本来あるべき神の姿」を遺そうとした。

歴史のロマンですね。
 
「ここから氷川女体神社までは農道が近道なのですよ。田園を見られてかつての見沼に思いを馳せられてはいかがでしょう?」

宮司さんはそういって微笑まれました。

住宅地を抜けると信じられないほどスコーンと抜けた畑の中の道。かつて沼沢地だった見沼は江戸時代(享保年間)に干拓されて今は田園が広がっています。この地の水源を納めていた神々は今はどうしているのでしょうか?少し傾きかけた冬の太陽が寂寥たる気分にさせます。

氷川女体神社

石段の上に赤い鳥居が建っています。

落ち着いた風格ある社殿は寛文年間に作られたそうです。扁額には「武蔵國一宮」の文字が書かれています。

主祭神は奇稲田姫 須佐之男命の妃です。大己貴命と三穂津姫を合祀します。開基は崇神天皇の御世とされています。

この神社の授与品に巫女人形があります。かわいらしい焼き物の巫女さんです。願いがかなったら着物を着せてお納めするそうで、もれなく「祈り方のコツ」がついてきます。

「考えてないでまずはやってみよう!!」と書かれたコピーが魅力的!!

境内前の御幸道のつき当たりにはには「磐船祭祭祀遺跡」があります。かつて氷川女体神社では見沼に船を浮かべて神に感謝を奉げる「御船祭」が行われていました。しかし享保12年(1727年)に見沼が干拓され「御船祭」が行えなくなってしまいます。そこで見沼の一部であった場所に池の中に丸い島を築いた祭祀場を設けて「御船祭」の代わりとなる「磐船祭」を行うこになりました。

明治元年まで行われていた「磐船祭」の遺跡が「磐船祭祭祀遺跡」です。

大宮氷川神社

埼玉県さいたま市大宮区高鼻町一丁目407番地

主祭神  須佐之男命・奇稲田姫命・大己貴命

交通 東武野田線・大宮公園駅もしくは北大宮駅(徒歩10分)、大宮駅(徒歩20分)

* 摂社 門客人神社 足摩乳命 手摩乳命
* 摂社 天津神社  少彦名命
* 摂社 宗像神社  多起理比売命 市寸島比売命 田寸津比売命
* 末社 山祇神社  大山祇命
* 末社 石上神社  布都御魂命
* 末社 愛宕神社 迦具土命
* 末社 雷神社   大雷命
* 末社 住吉神社  底筒男命 中筒男命 上筒男命
* 末社 神明神社 天照大御神
* 末社 天満神社  菅原道真公
* 末社 松尾神社  大山咋命
* 末社 御嶽神社  大己貴命 少彦名命
* 末社 稲荷神社  倉稲魂命

中山神社

埼玉県さいたま市見沼区中川145-65

主祭神  大己貴命

摂社 稲田宮社・荒脛(アラハバキ)社 

交通 大宮駅東口発国際興業バス大12系統中川循環「中山神社前」バス停下車。
  北浦和駅東口発東武バス岩02系統「富士見ヶ丘」バス停下車。

氷川女体神社

埼玉県さいたま市緑区宮本2丁目17-1

主祭神  奇稲田姫命・三穂津姫命・大己貴命

交通 北浦和駅東口からタクシーか、JR武蔵野線東浦和駅からバスで芝原小学校前で下車、徒歩10分

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コメント:4

naru 10-04-05 (月) 18:42

吉祥さんの神社紹介はいつも為になりますし、分かりやすいです。(他の方のも興味深いですが私にとっては特にです)今後も何処が出るのかわくわくします。いつもありがとうございます。

10-04-07 (水) 13:08

実は、私はこの大宮氷川神社で初めて靴を履いて歩いたんです!
さらに、結婚式もこちらで挙げました~
私にとっては、大切な大切な神社です。

ひろ 10-11-13 (土) 3:08

でも、なぜか氷川神社にいらっしゃる神様は女神なんだよね。
何でだろ?!

鋼大刀 11-03-14 (月) 8:19

 古事記関係の神社めぐりとたたら製鋼の資料館がセットで楽しめるのは、島根県安来市ですよね。古事記では根の国と記され、出雲国風土記ではスサノオが安来という地名を命名したとある。山奥の奥出雲町の船通(鳥上)山ではヤマタノオロチ退治が繰り広げられた場所だという伝承もある。ロマンあふれる所でした。

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