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高野山・山王院(さんのういん) 和歌山県伊都郡

投稿者:吉祥さん

途中、川筋をとりちがえたのか行くほどに流れが細くなり、道もけものみちのようで、空木の木などがはびこり歩くのに難渋した。それでも一晩中登りにのぼるうちに不意に山上に都市が現出した。悪いものにたぶらかされているようでもあり,夢の中にいるようでもあった。(司馬遼太郎「空海の風景」より)

司馬遼太郎の驚きはそのまま高野山を訪れる人の驚きであろうと思われます。

曲がりくねった山道を進んでいくと突然、朱塗りの大門が出現します。大門の先に平らかな土地が開け山上に都市が広がっています。外八葉の山に囲まれた仏都・高野山(こうやさん)です。

空海はこの地を求めて山野を巡ったといいます。唐の国から投げた三鈷所の落ちた場所が聖地にふさわしいと探していたとも言われています。

私もつい最近気づいたのですが山上に広い平地が広がる地形は稀有といってもよく、その地を見つけた空海の力に感心せざるを得ません。

高野山町、標高約800m・東西約5km・南北約3kmの山上盆地に平安時代に弘法大師空海が開いた一大宗教都市です。

大門を抜けて少し進むと「壇上伽藍」と呼ばれる諸堂が並ぶ空間に出ます。中心に位置するひときわ目を引く赤と白と緑の鮮やかな塔は「根本大塔」と呼ばれる多宝塔です。大日如来を中心に鮮やかな柱に描かれた仏たち…密教の世界を再現しているといわれます。 
 
壇上伽藍の一角に朱塗りの鳥居があります。

鳥居をくぐると「山王院」と呼ばれる入母屋造りのお堂があり、その先に柵で囲われた御社があります。柵に顔をつけるようにして覗き込むと左右に白と黒の狛犬がいます。

弘仁10年(819)、弘法大師・空海が山麓天野の地から地主神として高野山の鎮守として勧請した神さまを祀るお社です。

大師は伽藍諸堂の建設に先立ち、この鎮守明神の社殿を建立されました。三つの社殿にはそれぞれ一宮は丹生明神(丹生都比売命)、二宮は高野明神(狩場明神、丹生明神の御子)、三宮は十二王子百二十伴神が祀られています。

空海は高野山を着工したときまずこの壇上伽藍の建設を始めました。その壇上伽藍の中でも一番最初に神さまを祀るこの御社を建立しています。いかに重要なお社か想像に難くないと思います。

弘法大師・空海は自分の教えを広める仏教都市を作る計画を立てました。

その場所を探していた時、白と黒の(一説には二匹の白い)犬を連れた狩人に出会いこの高野の地を教えてもらったといいます。

八葉の山に囲まれた山上に広がる一大都市。それが自然が創り出した地形であることに驚きを覚えないのは私たちが文明に毒されているからではないでしょうか?

その狩人が実は狩場明神と呼ばれる神さまの化身であったといわれています。

「高野山の本当の中心はこの神社なんです。」

そう云いきった案内人の方もいらっしゃいました。
真言仏教の中心地でありながら神さまを祀っている・・・神仏習合の大らかさを感じます。
 
高野山の重要な行事(竪精(りっせい)論議や御最勝講(みさいしょうこう)などや問答はここで行われます。

7月のある日、ひとりで夜の散歩を楽しんでいると突然ゴ~~~ン!!と鐘の音がしました。

見ると鳥居の前に置かれた松明の火が灯されたところです。走って近づくと山王院にはすでにたくさんのお坊さんがおられます。読経と問答がはじまりました。

「今日は年に一度のお坊さんが昇進する儀式の日なんです。儀式は山王神社に向かって行われます。山王院の神さまにご報告するんです。」

篝火を炊いていた烏帽子姿の男性が教えてくれました。

鳥居に篝火・響く読経の声…時を忘れてお堂の階段に座り儀式が終わるまでそこにいました。美しい月夜・松明に照らされた鳥居に読経の声・・・至福の時間。2~3時間に及ぶ儀式の終わりには再び鐘が大きく打ち鳴らされます。

山王神社の神さまたちは今日 昇進するお坊さんをじっと見守っているのでしょう。

高野山を訪れて退屈することはありません。
町のいたるところにたくさんのお堂や塔中があります。

その中でも私が好きな場所をご紹介しましょう。

刈萱堂
中央通を奥の院に向かって進むと右手にあおによしの色鮮やかなお堂があります。石堂丸親子が修行したといわれる刈萱堂です。本尊はお地蔵さんです。石堂丸の物語は以下のようなものです。

 苅萱道心は、もと加藤左衛門繁氏といい、平安末期(十二世紀後半)、筑紫の国(福岡県)の領主でした。正妻と側室の争いに世の無常を感じて出家してしまいます。その後高野山に登り、蓮華谷に庵をむすび、苅萱道心と称して、修業の生活に入りました。繁氏の出家直後、側室の千里が一子を出産しましたが、その子には父の幼名をとって石童丸(いしどうまる)と名付けました。

 石童丸が十四歳になったとき、繁氏が高野山で出家しているという噂を耳にし、まだ見ぬ父に会いたい一心から、母と共に高野をめざして急ぎました。ようやく山麓学文路の宿までたどりつきましたが、そこには(女人禁制)というきびしい山の掟がたちふさがっていました。石童丸は、母を宿に残し、一人で山に登って父の行方をたずね歩きました。

 たまたま「無明の橋」の上で一人の僧と会いました。石童丸の話を聞いた僧の顔色が一瞬変わりました。この僧こそ、苅萱道心その人だったのです。しかし浮世を捨てて仏門にはげむ繁氏には、親と名乗ることさえも許されず、「そなたのたずねる人は、すでにこの世の人ではありません。」といつわって石童丸を母のもとへかえしました。

 泣く泣く学文路に戻った石童丸を待っていたのは、母千里がわが子の帰りを待ちわびつつ、まだ帰らぬことを嘆くあまり急病で亡くなったという悲しい知らせでした。

 悲しみにうちひしがれた石童丸は、再び高野に戻って苅萱童心の弟子となりましたが、生涯父子の名乗りをすることはありませんでした。

石堂丸には那智の浜から補陀洛渡海(生きたまま観音浄土に渡るため30日分の水と食料を積んだ出口のない船に乗り込んで船出するという捨身行)したという伝説もあります。

お堂の裏側には石堂丸の絵物語が並んでいます。色鮮やかな絵は見ていて飽きることがありません。

高野山奥の院
弘法大師空海が入定した場所です。空海は今まだ生きて私たち衆生を救ってくれるといわれています。朝二回・弘法大師空海にお食事を差し上げる儀式が今なお続いています。

奥の院へ至る道には諸大名のお墓が並んでいます。石の五輪塔は人の姿を現しています。諸大名たちは56億7千万年後に衆生を救いにこの地に降りるといわれる弥勒菩薩を待っているのだそうです。

杉の木に囲まれた空間は心地よいです。

住所:〒648-0211 和歌山県伊都郡高野町高野山
電話番号:0736-56-3215


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アクセス:関西空港から南海線で難波まで約30分。

参考サイトURL:高野山宿坊組合・高野山観光協会ホームページ

補足:
宿泊には宿坊をお勧めします。各宿坊で工夫を凝らした精進料理が出されます。希望者は朝のお勤めに参加できます。門限がある宿坊もあるので夜や早朝に散歩をする予定の方は事前に確認してください。

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