- 2009-06-08 (月) 12:11
- 神社
投稿者:吉祥さん
石の鳥居をくぐって薄暗い参道に入ると気温が下がった感じがして鳥肌が立ちます。
いやな感じではなくて気持ちいいのですが・・・。
いつもなら拝殿(ご神体)に向けて早足になるのですがこの参道はゆっくり進みたい気分。木々の息吹を感じながら歩きます。
伊邪那岐尊(イザナギノコト@男神)と結婚した伊弉冊尊(イザナミノミコト@女神)は何人かの子供を生みましたが火の神である軻遇突智尊(カグツチノミコト)を生んだときに焼け死んでしまいます。
嘆いた伊邪那岐尊は軻遇突智尊を切り殺してしまいました。伊弉冊尊を埋葬したのがこの花之窟(はなのいわやじんじゃ)と云われています。(出雲埋葬説もあり)
また伊邪那岐尊が黄泉比良坂(ヨモツヒラサカ)から戻って禊をしたときに生まれた三貴神(天照皇大神・月読尊・素盞鳴尊)のうち素盞鳴尊は母に会いたがって黄泉の國に行きたいと泣いたために追放されます。
素盞鳴尊が「木の国から根の国(黄泉の国)に入った」という記述があるために黄泉比良坂はこの場所にあるという人もいます。
お稲荷さんと金龍神社さんに参拝して いよいよ花の窟へ。
白い玉石が敷き詰められた気持ちのいい空間です。
ご神体は伊弉冊尊の埋葬の地とも伊弉冊尊ご本人とも言われる磐坐(いわくら)です。
大きい!!見上げるほどの絶壁の上に白い岩が二つ並んでいます。
それが顔のようにも見えて・・・ともかく美しい磐です。
その磐に縄がかけられ何かが下がっています。
向かいには軻遇突智尊が祀られています。
自分が生まれたことで母を殺してしまい父に切り殺された軻遇突智尊。伊弉冊尊の磐坐の向かい側に小ぶりな黒い磐坐がありそれが軻遇突智尊といわれています。母殺しの汚名を着せられて生まれてすぐに斬り殺された軻遇突智尊が かわいそうだと思いました。
伊邪那岐尊は亡くなった伊弉冊尊を黄泉の国まで迎えにいきます。
「黄泉の国の神に許可をもらうからそこで待っていてください。それまで決して私の姿を見ないでください。」
長いこと待たされた伊邪那岐尊は約束を破って伊弉冊尊の浅ましい姿を見てしまいます。怒った伊弉冊尊に追われてかろうじて現世に逃げ帰りますがそのときに伊弉冊尊は呪いをかけます。
「私は1日に貴方の国の人を1000人殺しましょう。」
伊邪那岐尊は
「ならば私はこの国に一日に1500人の人間が生まれるようにしましょう。」と答えます。
ここは神話の世界。
発した言葉は霊力を持つという言霊信仰が生きているのです。パラパラと降り出した雨がまるでご神体から降り注いでいるようでポーッと見上げていました。
「どうですか?」地元の人でしょうか?おじいちゃんに声をかけられます。
「ここはすばらしいですね。」
「そうでしょう…。」
満足そうに答えたこの方は花之窟神社 総代の和田さんといいます。
花の窟のご神体は高さ50m、幅80mの巨大な磐坐です。
礼拝所の左手奥をずっと登ってゆくと小さな祠があるそうです。
「道が厳しいので私でも年に2回位しか行かないんですよ。体を斜めにして進まないといけない場所もあって・・・。」
昔の人はその祠に参拝していたのが近年になって(・・・といっても和田さんが生まれる前)今の場所に祠を移したのではないかということでした。かつての礼拝所は魅力的で多少の危険を冒しても行ってみたかったのですが道が険しく雨が降っていて危険なのでと止められました。
縄から下がっている四角いものは「縄幡(なわばた)」かけられている縄は170m。遠く海沿いにまでつながっているということでした。
毎年2月と10月の2日に大祭があり「お縄掛け」の神事で掛けかえられます。伊弉冊尊がこの地に埋葬された後 近隣の人々は季節の花を供えて伊弉冊尊を祀ったと云います。これが「お縄かけ」の神事のはじめで平安時代までは「お縄かけの神事」のために朝廷から錦の御幡(みはた)が献納されていたといいます。
ところがある年、嵐のために幡を運ぶ船が沈没。困った地元の人が縄で幡の形を作って奉納したのが「縄幡」の始まりだそうです。三つの幡はそれぞれ天照皇大神・月読尊・素盞鳴尊の三貴神を表しているそうです。
そう思ってみると縄幡のひとつひとつに神が宿っているように見えてまた感動。
この縄に触れることで伊弉冊尊とご縁を結べるのだそうです。
伊弉冊尊は10人の子を生まれたので安産のご利益。
また伊弉冊尊は稲作伝承の祖といわれ五穀豊穣のご利益も・・・。
「花之窟にはいろいろな人が訪れます。観光客は5分で出てきますよ。でも あなたのように興味のある人はず~~~っと出てこない。ここは不思議な場所なんです。」
磐坐にゆれる綱をはなんとも神秘的です。
それは古代から続くお縄かけの神事を守り続けてきた人々の祈りの力なのではないでしょうか?
参道の帰りに和田さんは「この参道はどうですか?」といたずらっぽく聞きました。
「とても気持ちがいいと思います。」
「なかには鳥肌が立つという人がいますよ。その辺に(とそこらを手で示しながら)落ち武者がいっぱいいるんだそうです。」
先日の村雲さんの記事を思い出しながら気は持ちようだなと思いつつ・・・。
でもここは黄泉比良坂の入り口。
落ち武者たちが集まってきても不思議ではないかもしれません。伊弉冊尊はたくさんの落ち武者たちをも黄泉路へ導いてくれるのかもしれません。そう思うとそれもまた神さまの優しさなのかなと思いました。
神社の向かいに設置された無料の休憩所で四季折々の写真を見せていただけます。こちらは地元のボランティアの方が運営しており土・日に開けているそうです。夕日に赤く染まった花之窟の美しさにため息が出ました。
近くには伊弉冊尊が軻遇突智尊を生んだという「産田神社(うぶたじんじゃ)」があります。産田神社は秋刀魚寿司 発祥の地だそうです。小さな神社ですが昔の神事に使われた『ひもろぎ』と呼ばれる石の台が残っています。日本で二箇所しか残っておらず大変古くて珍しい。
また、鬼が城は熊野水軍の隠れ家だったとも言われる景勝地で海が美しいです。
足を伸ばせば神倉神社・熊野速玉大社・熊野那智大社・飛瀧神社もあります。少し遠いですがせっかくですから熊野本宮にも参詣されてはいかがでしょうか?
住所:〒519-4325 三重県熊野市有馬町上地130
アクセス:名古屋駅からJR紀勢本線特急「ワイドビュー南紀号」で熊野市駅まで約2時間50分
参考サイト:花窟神社 wiki
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コメント:4
- 地元の物ですが… 09-07-10 (金) 14:08
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花の窟神社には もぉ一つの言い伝えがあります。
表に出すと 歴史が変わってしまうので あまり語られる事はありませんが…和田さんには 語る事が出来ないでしょう…
もし気になるなら 気が向けば 二通りの伝説、歴史を詳しく話してくれる 地元のカタリベ 室谷さんなら聞かせてくれる事が出来るかも…
熊野に入り海が見える坂を下り切り 左の駐車場の手前の海産物屋に よくいらっしゃります。
- 吉祥 09-08-15 (土) 1:04
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コメントありがとうございます。
読んでいてゾクゾクしました。
次回熊野に出かけた時に室谷さんを訪ねてみたいと思います。
うまく逢えるといいのですが…。貴重な情報ありがとうございました。
- なみ 10-02-17 (水) 9:44
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はなのいわ神社は本当に神様が居る所と聞きました。初代天照皇大御神様の母であるイザナミの尊様のお墓だそうです。日本では2番目に古い神社であり位の高い神社だと思われます。古来の人々が感謝の祈りを捧げた神社だと思います。人々が自分の願い事をしたり、観光地にされる神社ではないと思います。私も古代の人々のように感謝の祈りをさせて頂きたいとおもいます。
- 吉祥 10-03-10 (水) 21:41
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なみさま
コメントありがとうございます。
花の窟神社そのものの素晴らしさもさることながら、神社を護る地元の方たちの信仰に感動しました。熊野は神の地なのだと実感させてくれる神社です。
仲間とわいわい行くよりは一人でじっくりと参拝したい場所だと思いました。(…私の場合はいつも一人旅ですが…。)
境内にポーッと座っていると古代の神々たちのささやく声が聞こえてきそうな気がします。
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